山に囲まれた村
山に囲まれた小さな村があった。
その村には、外へ通じる道が一つしかなかった。
断崖に架けられた、古い吊り橋だ。
村人たちは言う。
「この橋が落ちたら終わりだ」
「橋を守るしかない」
「橋を強くすることだけが重要だ」
だから皆、橋の補修に人生を捧げた。
木材を運び、縄を締め直し、橋脚を太くする。
村の学校でも教わる。
外へ出る道は、この橋だけである。
ある年、嵐が来た。
橋はきしみ、板ははがれ、縄は裂けた。
村は恐怖に包まれた。
「もっと太い縄を!」
「もっと強い木を!」
「橋を二重にせよ!」
議論は白熱したが、前提は誰も疑わなかった。
外へ出るには橋を渡るしかない。
そのとき、一人の若者が言った。
「山を越えることはできませんか?」
村人は笑った。
「山は険しい」
「昔から誰も越えていない」
「橋があるのに、なぜ危険を冒す」
若者はそれ以上何も言わなかった。
嵐の翌朝、橋は半分崩れていた。
村は総出で修復を始めた。
その間、若者は山へ向かった。
岩をよじ登り、木の根をつかみ、
何度も滑り落ち、それでも登った。
やがて頂上に着いたとき、
彼は向こう側に、なだらかな坂道が続いているのを見つけた。
橋を渡るより、ずっと安全な道だった。
数日後、若者は村に戻り言った。
「別の道があります。」
村人は疑った。
「そんなはずはない」
「外へ出る道は橋だけだ」
「ずっとそうだった」
若者は答えた。
「橋しか“見ていなかった”だけです。」
やがて数人が山を登り、
その坂道を確かめた。
それは確かに、もう一つの道だった。
橋は唯一の道ではなかった。
唯一だと思われていただけだった。
それから村は変わった。
橋も直した。
だが山道も整えた。
村人は初めて知った。
答えが一つしかない問題など、めったにない。
一つに見えるときは、
たいてい“橋”だけを見ている。
そして村の学校では、教科書の最後の頁にこう書き加えられた。
問題を解く前に、
問題の形を疑え。
山は、ずっとそこにあったのだから。
あとがき
小学生の頃、星新一さんのショートショートをたくさん読みました。
面白い作品は多かったのですが、現在でも記憶に残っているのは一つだけです。それが「空への門」という作品です。内容には触れませんが、ぜひ読んでいただきたい作品です。
この作品から私が学んだことは、
- 目的を達成する手段は、一見ひとつに見えても実は複数ある場合がある
- 構造やルールに縛られすぎず、それを変えることで解決できることがある
- より普遍的な解を模索する姿勢が重要である
といったことです。
もちろん小学生当時に、上記のように頭で理解した訳ではありませんが、逆に心に刻み込まれたからこそ現在の記憶にも残っています。
上記の考えで、例えば移民問題を考えると「移民を増やす」という案には反対の立場になります。しかし、それが解のひとつであることは否定しません。
移民問題の直接的な原因は、少子化による人口減少だと思います。そして恐らく、これを解決するには社会の構造的な改革が必要です。具体的には、
- 居住区域を限定して社会インフラを集中させる
- 高層建築の制限等の政策で都市部への人口集中を制限する
- 病院を集約し医療の効率化を図る
- 婚姻家庭に関する優遇措置を設ける
といった、自由の制約を伴う政策が不可避かもしれません。
私個人は自由制限には強く反対するタイプの人間ですが、現在の人口減少のペースを考えるとやむを得ないと感じています。
平時であればこうした制限は受け入れられにくいでしょう。しかし、人口減少による実害が身近に迫れば、一定の理解は得られる可能性があります。
移民推進派の人が、安直に答えを出しているとは思いません。
色々検討した結果、移民推進という解になっているのだと思います。
私の解は、移民を受け入れないことによって、あえて社会的危機を増幅させ改革へのトリガーとする。それまでの間の痛みは、より普遍的で安定な社会へのコストとして甘受するという解です。
移民推進の方が、現実的で痛みも少ないようにみえますが、諸外国の移民問題、日本の一部の地域で発生している問題を見ると、将来的にどちらのコストがより大きいかは不明です。少なくとも私の解の方が、普遍性は高いと思っています。実現性は劣っていますが…
より良い解を思いついた方は是非、発信して頂きたいです。
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