短編小説: 増える不幸

増える不幸

会議はいつも、被害報告から始まる。

「本日は三件です」
担当者が淡々と読み上げる。

「一件目。上司の何気ない一言により、
 部下が『軽視されたと感じた』案件」

誰も驚かない。
もう何年も、こうだ。

「二件目。
 同僚が成功体験を語ったことにより、
 周囲が『相対的に劣等感を覚えた』案件」

「三件目。
 他者の充実した休日を視認したことにより、
 自身が『時間を浪費していると焦燥した』案件」

部屋の壁には一覧表が貼られている。

現在認定されている不幸:87項目

かつては十にも満たなかった。

委員の一人が口を開く。
「これは…本当に“不幸”でしょうか」

空気が一瞬止まる。

「誰かが傷ついたと言っています」
別の委員が答える。
「ならば、不幸です」

反論はできない。
定義はすでにそうなっている。

私は資料の端にある、古い表を見つけた。

旧・不幸定義(抜粋)
・暴力
・飢餓
・住居喪失
・生命の危機

「この時代、不幸は少なかったが深刻だった」
私はつぶやく。

今は逆だ。
不幸は浅く、無限にある。

「では、定義を追加しますか?」

議長が問う。

「追加しないと、
 『苦しみを無視した』と言われます」

「追加すると?」

「社会コストが増えます。
 発言は減り、関係は萎縮し、
 誰も安全な言葉しか使わなくなる」

沈黙。

「……それでも、追加しないわけにはいかない」

議長はそう言って、ペンを取った。

新規不幸:
 意図しない比較による心理的不快

項目番号は、88になった。

その瞬間、
誰かが少し息苦しそうに胸を押さえた。

だがそれは記録されない。
「社会全体の息苦しさ」
まだ不幸として定義されていないからだ。

会議終了後、
全員が無事に家に帰る。

殴られない。
飢えない。
安全だ。

ただ、
何も言えない。

私は思う。

この国は、
不幸を減らすために
不幸を増やしている

それが数式として矛盾していることを、
誰も指摘できないまま。



あとがき

「〇〇ハラスメント」という言葉が広まり始めた頃から、私は強い違和感を覚えていました。
当初は、セクシャルハラスメントのように、明確で深刻な被害を指す言葉だったはずです。
ところが今では、あらゆる行為や発言が「ハラスメント」という一言で括られるようになってしまいました。

もちろん、実際に重大な被害を受けている人がいることは否定しません。
守られるべき人が守られる仕組みは必要です。
ただ一方で、明らかに被害と呼ぶには無理のあるレベルの出来事までがハラスメント扱いされ、加害者として糾弾される場面が増えているように感じます。

本来は、当事者同士で解決すべき些細な行き違いや感情の問題まで、
社会問題のように拡大され、ラベルを貼られ、断罪されていく。
正直なところ、「それは違うだろう」と思うことが少なくありません。

言葉が強くなりすぎると、問題の深刻さの区別がつかなくなります。
本当に深刻な被害と、日常的な摩擦や不快感とが、同じ土俵で扱われてしまう。
それは、誰かを守るどころか、社会全体を息苦しくしているのではないでしょうか。

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