短編小説: 説明の多い街

説明の多い街

ある街では、争いが絶えなかった。
そこで市役所は「問題を論理的に解決する部署」を作った。

名前は――
説明課。

説明課の主任は、とても優秀だった。
彼はすべてを論理で説明できた。

「人はなぜ怒るのか」
「対立はなぜ無意味か」
「協調の利益とは何か」

説明は完璧だった。
誰も反論できなかった。

説明の後、人々は言った。

「なるほど」

そして帰り道でまた喧嘩した。

市は対策を強化した。

説明はより詳細になり、図表が増え、時間も長くなった。
理解度テストも導入された。

正答率は上がった。
争いも増えた。

ある日、ひとりの男がやってきた。

男は説明をしなかった。

ただ子どもに言った。

「この街はね、こだまみたいなんだ」

子どもは笑った。

数日後、街の様子が少し変わった。

理由は、誰にも説明できなかった。

市は緊急会議を開いた。

「説明されていない変化は危険だ」

満場一致だった。

男は追い出された。

説明のない発言をしたためである。

やがて街は静かになった。

争いは減らなかったが、説明はますます増えた。

人々は言うようになった。

「この街は、とてもよく説明されている」

そして今日も、誰かが誰かに言う。

「ばか」

少し遅れて、どこかから同じ言葉が返ってくる。

だがそれが何なのかを、説明できる者はいなかった。

あとがき

いつの頃からか、「説明責任」という言葉が当たり前のように使われるようになりました。それに伴い、世の中の説明は確かに増えたように思います。

しかし、その分だけ何かが良くなったのかと問われると、どうもはっきりしません。恐らく「説明責任」を問う人々が、「理解責任」または「理解義務」を怠ったからでしょう。

最近の選挙では、「説明責任」を声高に訴えていた議員たちが相次いで落選したそうです。おそらく同じような違和感を、多くの人がどこかで抱いていたのではないでしょうか。

もし説明だけで人が動くのであれば、話はもっと単純なはずです。
けれど現実は、そうではありません。

人を動かすのは、説明ではなく――
物語なのかもしれません。

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