石と杭
ある町に、一人の男がいた。
彼はほとんど何も望まなかった。
望まなかったというより、望みを口にする前に、
いつも何かを始めてしまう癖があった。
足りないものがあれば、
それを数える前に、手を動かした。
不満が浮かべば、
それを言葉にする前に、何かを直した。
だから彼の望みは、たいてい言葉になる前に、
どこかへ消えてしまった。
町では、しばしば広場に人が集まっていた。
為政者に向けて、さまざまな要求を述べるためだった。
「もっと安全を」
「もっと仕事を」
「もっと公平を」
人々は順に声を上げ、
時に熱を帯び、時に疲れて帰っていった。
男もその近くを通ることはあったが、
立ち止まることは少なかった。
その日も、広場の端を通り過ぎ、
道に転がった石を端へ寄せていた。
誰かがそれを見て言った。
「そんなことをしても、何も変わらない」
男は少し考えた。
「そうかもしれません」
そう言って、もう一つ石を動かした。
「だが、あちらに言うべきだろう。
それが正しいやり方だ」
男は石を置き終えてから、答えた。
「そういうやり方もあるのだと思います」
それ以上は何も言わなかった。
広場ではその日も、言葉が積み重なっていた。
誰かが書き留め、誰かが運び、
やがて何かが変わるのかもしれなかった。
男はそれを遠くに聞きながら、
壊れた柵のところで立ち止まった。
杭が一本、ゆるんでいた。
彼は周りを見て、道具を借り、
静かに打ち直した。
うまくいかないところもあったが、
何度かやり直しているうちに、
柵は元の形に近づいた。
夕方になり、人々は広場から帰ってきた。
「今日は良い手応えがあった」
「いや、何も変わらない」
「次はもっと強く言うべきだ」
様々な声が行き交ったが、
男はそれを横で聞きながら、
柵のぐらつきをもう一度確かめていた。
ふと彼は思った。
「さっきのこれは、少しだけ良かったな」
何が良かったのか、はっきりとはしなかった。
杭がうまく収まったことか、
やり直した時間か、
それとも、何も言わなかったことか。
彼はもう一度、軽く柵を押した。
きしむ音はせず、静かに戻った。
「これでいい」
誰に聞かせるでもなく、そう思った。
町ではその後も、
多くの人が言葉を集め、
為政者に向けて差し出していた。
何かが変わることもあれば、
変わらないこともあった。
男は相変わらず、
言葉を差し出す代わりに、
手を動かしていた。
それは小さく、
ほとんど残らず、
誰にも数えられなかった。
それでも時折、
ほんの短いあいだだけ、
自分のしたことを確かめるように、静かに満足した。
それは誰にも知られず、
町の形を大きく変えることもなかったが、
彼にとっては、十分だった。
あとがき
ケネディ大統領の「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問いなさい」というあの演説を中学の英語の授業で聴いたとき、私は自分自身の行動パターンをはっきりと自覚しました。 実は、あの言葉に出会うずっと前の幼い頃から、私は人に頼み事をせず、まずは自分で行動してしまうタイプでした。
自分だけの力ではどうにもならない問題に直面したとき、諦めてしまう。そんな自分を、私はずっと「欠点がある」と思ってきました。けれど、大人になった今も、その性格を改めることはできないままです。
今も私は、広場で声を上げる人々の輪には加わらず、一人でひっそりと、自分の手の届く範囲のことを淡々と実行して生きています。それが私の、精一杯の誠実な生き方なのだと感じています。
ケネディ大統領の演説の後、聴衆から大歓声が上がっていました。
先日、「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」と言った人に対して、
「私も負けないように働きます」といった意見を見ない国とは大きな違いだと感じました。
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