キリギリスが生まれない国
あるところに、大きな四つの国がありました。
それぞれにアリとキリギリスが住んでいました。
第一の国では、キリギリスが歌い、踊り、時には大きな賭けに出ました。
失敗して凍える者もいましたが、成功したキリギリスは巨大な倉庫を築き、冬の街を明るく照らしました。
アリたちは言いました。
「危ないが、あの光は確かに暖かい」
第二の国では、王が命じました。
「すべてのアリとキリギリスは、巨大な巣を作れ」
命令は絶対でした。
歌うキリギリスも、考えるアリも、同じ方向を向かされました。
その結果、冬でも崩れない巨大な倉庫ができました。
しかし誰かが小さくつぶやきました。
「この中で歌うのは、少し息苦しい」
第三の国では、ルールが細かく決められていました。
アリはこう動き、キリギリスはこう振る舞う。
境界線は消え、どこへでも行けるようになりました。
誰もがそこそこ食べられ、そこそこ暖かい。
ただし誰かが言いました。
「ここでは、ものすごく暖かい場所は生まれにくい」
そして最後の国。
そこでは、アリたちは黙々と働き、
キリギリスはほとんど見当たりませんでした。
理由は簡単でした。
一度でも冬に失敗したキリギリスは、
「キリギリスであること」そのものを責められ、
次の春に歌うことを許されなかったからです。
だから若いキリギリスたちは考えました。
「最初からアリになればいい」
こうして国は、ほとんどすべてがアリになりました。
その国のアリたちは、非常に優秀でした。
倉庫は崩れず、食料は均等に分けられ、
誰も飢えることはありませんでした。
ただし、ある奇妙なことが起きていました。
倉庫は毎年、ほんの少しずつしか大きくならないのです。
誰かが言いました。
「もっと大きくできるのではないか?」
すると別のアリが答えました。
「もし失敗したら、倉庫が壊れるかもしれない」
皆はうなずきました。
それは正しい意見でした。
冬が来ました。
その国の倉庫は、相変わらず十分に機能しました。
誰も凍えませんでした。
ただし、遠くの国から風に乗って歌が聞こえてきました。
大きく成功したキリギリスたちの歌でした。
それを聞いた若いアリが、ぽつりと言いました。
「……あの歌、少しだけ羨ましいな」
年長のアリは少し考えてから答えました。
「そうだな。だが、ここではあの歌は必要ない」
若いアリは黙りました。
春が来ても、その国にキリギリスは生まれませんでした。
あとがき
日本の政治について、批判的な見解を述べているように見えてしまうかもしれません。しかし実際には、私は日本の政治そのものを一方的に否定したいわけではありません。
むしろ私が強い違和感を覚えているのは、政治そのものというより、
それを取り巻く「評価のあり方」です。
小さな失敗や問題は過剰なほどに取り上げられる一方で、
仮に大きな成果があったとしても、それが正当に評価されることはほとんどありません。
例外的に賞賛が集まるのはスポーツの分野くらいで、
それ以外では、成功は当たり前として扱われ、語られることすら少ない。
こうした成功と失敗の評価が非対称な状態でチャレンジしろというのは無理があるでしょう。聖人君主でなくとも、成果が大きければ評価すべきだろうと思っています。
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